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二つの命

ご無沙汰してしまいました。

いろんなことが起こった五月が終わり、六月に入りました。
六月はどんな月になるでしょうか。
そして、どんな夏になるでしょうか。

父の病気とそれに関する愚痴ばかりのブログになって久しく、愚痴を書くことによって自分の心の暗黒面を自分で凝視することになり、文章は更に重くなり、数少ない読んでくださってる方にも申し訳なく何も書かずに過ぎてしまいました。
でもまぁ、いつか読み返して、そうだこの時はこんなだったんだと思うよすがにもなろうかと思うので、記録として書いておくことにしました。

5月17日、父が再び呼吸困難で搬送されました。

前回の入院から二カ月ほどでまたです。
しかし、病状は前回と同じと言うわけにはいきませんでした。
両方の肺にかなりの量の水が溜まっていました。

何故こんなに大量の水が、それも両肺に溜まったのかは入院時点では分からず、治療して行く間に抗生物質が効いて水が減ったら肺炎、利尿剤が効いたなら心臓疾患と言う説明でした。

そして効果があったのは利尿剤。悪いのは心臓でした。
徐々に弱っていた心臓が何らかのきっかけで急に悪くなったと言うことで、心臓の働きは普通の人の心臓の30%以下と言われました。
正確な病名は『慢性心不全の急性増悪』
急変の危険が十分にあり、もし急変したら命にかかわると言うことで、その際どこまでの治療を希望するか、詳しい説明を受け母が同意書にサインもしました。
この時点で、家族は父の死を覚悟しました。
主治医が『とにかく、水を減らして楽にしてあげたい、病院で急変してしまう可能性も十分にあるので小康状態になった時点で一度おうちに帰してあげたい』と言い、それはすなわち、亡くなるなら家で、と言っているように聞えました。

そうとは知らない父は相変わらず入院させられたことに腹を立て、母に腹を立て、不機嫌でした。
筋肉が衰えているせいで、どんな姿勢で居てもすぐに背中や腰が痛くなり、枕の位置、腰に当てる布団の位置、母に憎らしい顔して文句を言い続けました。
またそれに対する母の対応も、あんたは病人の神経を逆なでするのが好きなのか、と言いたくなるようなもので、お互い労わりも感謝も無く、金婚式もとうに過ぎた夫婦が何故だろうと情けなくなりました。

その後、肺の水は劇的に減少し呼吸も楽になり父は退院することになりました。
原因は分かりません。利尿剤が効いたと言うことですが(笑)
いつものパターンです(苦笑)
家でわがままを言い、水は飲まず食事も摂らず、で呼吸困難になり入院。
病院では、残しはするものの病院食を摂り水も飲まされ水以外の飲料は禁止、と言う管理された生活を一週間続けて回復。
いい加減にして欲しいと思いますが、本人にしてみれば何の楽しみも無いのに、食べたくもないものを食べさせられ、好きなコーヒー牛乳も止めさせられる生活は味気ないものでしょう。
で、退院しまたわがままを言う。

しかし、心臓の機能が回復したわけではないのです。
わがままな生活をしていればまた同じことが起こります。
より病状は悪くなって。

あと何回こういうことを繰り返すでしょうか?繰り返せるでしょうか?
段々入院と入院の間隔が短くなり、こうやって徐々に弱って行くんでしょう。
簡単には死ねない、それが父の運命なんでしょう。
せめて苦しかったり痛かったと言うことが少なければと思います。

そんなさなか、下の妹の家の犬アスキーの脾臓が破裂し緊急手術、脾臓摘出という事態が起こりました。
獣医さんからは悪性の血管肉腫で肝臓に転移もある、手術がうまくいっても余命は半年から一年と言われたそうです。
12歳と言う高齢でもあり、術中に死んでしまう可能性も高いと言われたそうですが、徐々に出血が広がり苦しみながら死を待つ(または安楽死させる)より一か八か生命力にかけようと、手術して貰ったそうです。
手術は無事に終わりました。
そして今日、病理検査の結果腫瘍は見つからなかったと報告がありました。
病気は、『結節性過形成』。
脾臓の内部または表面にできた血栓の周りに結節ができ、表面に出来た場合破裂することがあり、それを放置すると出血が腹腔内に広がり死亡してしまう、というものでした。

もし、危険な手術でおなかを開き結果命を落とすならそのまま、と手術を拒んでいたら腫瘍でもないのに出血によってアスキーは命を落としていたことでしょう。
この場合、妹一家の決断がアスキーの命を救ったことになりました。
反対に、手術を決断したことを後悔するような結果だったことも考えられました。
開いてみなければ正確なことが分からない段階で、それこそ運にかけるしかない難しい決断でした。
結局、アスキーはまだ妹の家にいる運命だったんでしょう。

父とアスキー、両方の命、生きとし生けるものには神様が決めた“その時”があって、きっとそれが来るまでは生きながらえるものなんだろう、となんだかホッとしたような寂しいような、妙な気持ちになりました。

二つの命_d0153207_1116913.jpg
元気で長生きしてね
Commented by 真理 at 2013-06-05 11:36 x
お父上が、少しでも心安らかに(例え、他人から見れば不機嫌に映っても)納得のいくような暮らしが送れますようにと、心の底から祈ります。
夫婦のことを語る資格など微塵も持ち合わせていませんが(笑)、お互い気を張りあうことで存在を確かめ合う夫婦もいるのかも知れない、と思います。
友人夫婦がそうなのでね。
Commented by もなか at 2013-06-05 23:14 x
>真理さん コメント&父への優しいお言葉ありがとうございます。あれほど人から指図されるのを嫌い、特に健康に関することは家族が忠告することと反対のことをわざとして来たような父ですので、今の状態は不本意でしょう。何をしたいんだろうなぁ。そう考えるとちょっと可哀想です。
あんな状態でも、やはり父は母じゃなくてはいけ愛みたいですのでね。
夫婦なんて分からないものです(笑)
Commented by りぼん at 2013-06-08 18:21 x
お父様のご様子、1年前迄の義父の様子とよく似てらっしゃいます。昨年の今頃の義父は入退院を繰り返しており「年を越せるかどうか」と言われました。人の手を借りてもベッドから起き上がれないくらい弱ってた時期もありましたので、ドクターのおっしゃる通りこのまま蝋燭の火が消えるように逝ってしまうのかなあと誰もが思ってましたが、今は自分で車椅子を乗り降りできるまでに回復し、長い間ミキサー食だったのが先月は野田岩まで出かけるほど元気になりました。ですから、お父様もこの先案外長い時間が残ってらっしゃるかもしれませんよ。問題は、時間の長さより質ですけどね。至れり尽せりの施設住まいの両親の寿命は、しゃばでがさつに生きてる私達とあまり変わらないってことになりそうだと、それが幸せなのか何が幸せなのかもわかりません。としとればとるほど、悟りの境地どころか考えてもどうにもならないことが増えていくばかりです。こうして、本人も家族も、やきもきもやもやそわそわしながら、その時をやがて迎えることになるのでしょうね。4年前、自宅で1週間寝込んです~っと逝ってしまった実家の父の最期がどんなに希少だったか、時が経てば経つほど思い知らされてます。
Commented by もなか at 2013-06-09 11:02 x
>りぼんさま コメントありがとうございます。りぼんさまのお父様のお話を伺った時、きっと父もそんな風に逝きたかっただろうと思いましたが、本当にいろんな病気になって、何度も今回はダメかもと言うことを繰り返して、緊急治療して一命を取り留めで、の繰り返して、言い方は悪いけど死に時を逸してしまったのか、死ねないのには何か理由があるのかとつい、余計なことも考えてしまいます。
今回は心臓だったので、今までのように、これを切り抜ければまたしばらくは大丈夫とは言えないような気がしますが、生活の質となるとそれはどう考えてもいいとは言えず、人には何が幸せなのか分からないですね。
生きていて楽しいことも無いでしょうけど、死ぬのは怖いだろうなぁとか、本人に聞くことももうできないんですけど。
お父様はご本人ご覚悟が先ずほんとに固かったんですね。
父は覚悟も示すこともしないまま次々あちこち悪くなって、不摂生は自分のせいだとは言うものの、しまった~と思ってるかも知れません。
by yuming0117 | 2013-06-04 14:27 | Comments(4)

還暦過ぎた夫婦の日々         


by yuming0117
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