フジファブリック
2012年 11月 03日
wowowで、ロックインジャパンフェスのアーティスト特集フジファブリックを観る。
合計五曲
・夜明けのbeat
・徒然モノクローム
・star
・echo
・銀河
志村正彦がいた頃の、「銀河」で次女大泣き。
三人が志村くんのいた頃と同じ様に演奏してるのを見て銀河を歌っていた志村くんを思い出し、志村くんが居ないのを改めて感じた、三人はどんな気持ちなんだろうと思うと余計に悲しい、と。
志村の死後、ヴォーカルはギターのソウ君(山内総一郎)が担当することになった
一番年下でやんちゃ坊主のようだったソウ君がね、と以前からのファンだった次女にはそれも感慨深いらしい。
志村のヴォーカルはある意味あまりにも強烈だったから、むしろ似せることもしない、ソウ君のヴォーカルだった。
志村のいた頃の銀河、ギターソロの場面で熱演するソウ君のそばで志村君は気のないような風で、ふんふんて感じでうつむいてギター弾いてた、と。
そう言えば、志村君はいつも気が無いような風だった。
中原中也にちょっと似てる無表情の綺麗な顔がそんな印象を与えたのかな。
でも、音楽にすべてを捧げ、自身の身を削るようにして曲を作りだしていたと言う。
それが彼の命を縮めてしまったのかも知れない。
私は、志村君生前の最後のアルバム、クロニクルを聴いて初めてその良さに目覚め、その後志村君が急逝、その後の彼らをちょっと見守る程度の気持ちで聴いていて今年のフェスで本格的にファンになったという、かなり遅れて来た変則的なフジファブファンだ。
実は私は歌い手としての志村君はそれほど好きではなかった。
(だって~みんなおんなじに聴こえるんだもん)
ただ、あの気がないような歌い方で人をひきつけるのはやっぱり志村にしかできないことだった。
志村君がいた頃のフジファブリックは良くも悪くも志村君のワンマンバンドと言う感じで、もちろんそれは彼が素晴らしかったからなんだけれども、そのせいで他の3人が見えにくくなっていたことも事実だ。
志村君に対する好き嫌いがそのままフジファブリックに対する好き嫌いに繋がってしまうような、それでも3人はそれを選択して志村君とフジファブリックをやっていくんだと言う、フジファブリックはそんなバンドだった。
その志村君が突然いなくなった。
悲嘆、動揺、絶望3人の気持ちはどんなものだったろう、想像することもできない。
追悼番組での3人は、悲しいと言うより戸惑いや理不尽なできごとに対する怒りの方が強いように見えた。
志村と言う支柱を失ったフジファブリックはこのままなくなってしまうんだろう、それも仕方ないと多くの人が思っていたに違いない。
そんな中で、一番フジファブリックの将来、自分たちが何をすべきかを考えていたのはソウ君だったように見えた。
志村君とやってきたこのバンドを存続させるためには自分たちはなにをすべきか、前向きに考えているのが言葉から伝わってきた(にわかファンのおばさんにも分かるほど)
そして、彼らが出した結論は、フジファブリックは無くさない、新しいフロントマンは迎えずソウ君がヴォーカルを務めると言うものだった。
志村を失った欠落感は無くならない、でも、そこで潰れることなく立ち上がった彼らは、一回りも二回りも大きくなり、新しいフジファブリックとして歩きだした。
残された3人が、いい演奏者だったことも幸いだった。
ヴォーカルのワンマンバンドから楽器を前に出したバンドにフジファブリックは生まれ変わった。
必死の演奏から、志村抜きで進みつつ志村とともにあろうとする彼らのピュアさも伝わって来る。
『銀河』の演奏前には
『忘れないで欲しいメンバーがいます、志村正彦』
という言葉があったそうだ。
そりゃもう、おばさん応援するしかないでしょ。
昔からのファンもきっと分かってくれる。
私のように新しくファンになる人間だって多くいるはずだ。
それでもフジファブリックは志村正彦がいなくなったフジファブリックと言われ続けるのかも知れない。
そう言われることも受け入れて、残った3人でフジファブはやって行こう、と敢えて彼らは選択したのか。
うん、間違えてない。
それでいいよね。
フジファブリックはいいバンドだ。
合計五曲
・夜明けのbeat
・徒然モノクローム
・star
・echo
・銀河
志村正彦がいた頃の、「銀河」で次女大泣き。
三人が志村くんのいた頃と同じ様に演奏してるのを見て銀河を歌っていた志村くんを思い出し、志村くんが居ないのを改めて感じた、三人はどんな気持ちなんだろうと思うと余計に悲しい、と。
志村の死後、ヴォーカルはギターのソウ君(山内総一郎)が担当することになった
一番年下でやんちゃ坊主のようだったソウ君がね、と以前からのファンだった次女にはそれも感慨深いらしい。
志村のヴォーカルはある意味あまりにも強烈だったから、むしろ似せることもしない、ソウ君のヴォーカルだった。
志村のいた頃の銀河、ギターソロの場面で熱演するソウ君のそばで志村君は気のないような風で、ふんふんて感じでうつむいてギター弾いてた、と。
そう言えば、志村君はいつも気が無いような風だった。
中原中也にちょっと似てる無表情の綺麗な顔がそんな印象を与えたのかな。
でも、音楽にすべてを捧げ、自身の身を削るようにして曲を作りだしていたと言う。
それが彼の命を縮めてしまったのかも知れない。
私は、志村君生前の最後のアルバム、クロニクルを聴いて初めてその良さに目覚め、その後志村君が急逝、その後の彼らをちょっと見守る程度の気持ちで聴いていて今年のフェスで本格的にファンになったという、かなり遅れて来た変則的なフジファブファンだ。
実は私は歌い手としての志村君はそれほど好きではなかった。
(だって~みんなおんなじに聴こえるんだもん)
ただ、あの気がないような歌い方で人をひきつけるのはやっぱり志村にしかできないことだった。
志村君がいた頃のフジファブリックは良くも悪くも志村君のワンマンバンドと言う感じで、もちろんそれは彼が素晴らしかったからなんだけれども、そのせいで他の3人が見えにくくなっていたことも事実だ。
志村君に対する好き嫌いがそのままフジファブリックに対する好き嫌いに繋がってしまうような、それでも3人はそれを選択して志村君とフジファブリックをやっていくんだと言う、フジファブリックはそんなバンドだった。
その志村君が突然いなくなった。
悲嘆、動揺、絶望3人の気持ちはどんなものだったろう、想像することもできない。
追悼番組での3人は、悲しいと言うより戸惑いや理不尽なできごとに対する怒りの方が強いように見えた。
志村と言う支柱を失ったフジファブリックはこのままなくなってしまうんだろう、それも仕方ないと多くの人が思っていたに違いない。
そんな中で、一番フジファブリックの将来、自分たちが何をすべきかを考えていたのはソウ君だったように見えた。
志村君とやってきたこのバンドを存続させるためには自分たちはなにをすべきか、前向きに考えているのが言葉から伝わってきた(にわかファンのおばさんにも分かるほど)
そして、彼らが出した結論は、フジファブリックは無くさない、新しいフロントマンは迎えずソウ君がヴォーカルを務めると言うものだった。
志村を失った欠落感は無くならない、でも、そこで潰れることなく立ち上がった彼らは、一回りも二回りも大きくなり、新しいフジファブリックとして歩きだした。
残された3人が、いい演奏者だったことも幸いだった。
ヴォーカルのワンマンバンドから楽器を前に出したバンドにフジファブリックは生まれ変わった。
必死の演奏から、志村抜きで進みつつ志村とともにあろうとする彼らのピュアさも伝わって来る。
『銀河』の演奏前には
『忘れないで欲しいメンバーがいます、志村正彦』
という言葉があったそうだ。
そりゃもう、おばさん応援するしかないでしょ。
昔からのファンもきっと分かってくれる。
私のように新しくファンになる人間だって多くいるはずだ。
それでもフジファブリックは志村正彦がいなくなったフジファブリックと言われ続けるのかも知れない。
そう言われることも受け入れて、残った3人でフジファブはやって行こう、と敢えて彼らは選択したのか。
うん、間違えてない。
それでいいよね。
フジファブリックはいいバンドだ。
by yuming0117
| 2012-11-03 17:15
| 音楽
|
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