La vie en Rose yuming0117.exblog.jp

好きなリンク先を入れてください

ついに還暦を迎えました、が、 まだまだジタバタ  B型山羊座のもなかです。


by yuming0117
画像一覧
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30

バイバイ


一昨日(4日)朝、父が永眠しました。

長く寝たきりで、呼吸不全だ心筋梗塞だと救急車で運ばれたことも一度や二度ではなく、その度にICUに入れられたり家族は延命治療しない承諾書にサインしたり、何度も危険な状態を乗り越えて来ましたが、とうとう母と北海道から駆け付けた弟の奥さんと一人息子に見守られ最後を迎えることになりました。

父も楽になり、母も家で看取ることができて、2人とももう本望だと思います。

色々思うことはありますが、今は静かに見送りたいと思います。

とても暑い日だった空の青い日だった、といつまでも思い出すことでしょう。

パパバイバイ、アリガト、またね。
[PR]
by yuming0117 | 2016-08-06 00:27 | 父の病気 | Comments(0)

日々


一週間前はあれができたこれもできた、もうできなくなったと数えても意味ない。

父の体は少しずつ閉じていく。

喉頭がんの手術の後の穴のヘリがフルフルと動くので息をしているとわかる。

じっと顔を見ていると、ふと目を開けて瞳を動かす、

子供のころ、目が合うと「なんだ」と言った父。

目を動かすのは、今の「なんだ」かな。

父の声を聞かなくなってからもう何年たつだろう。

でも不思議となんだ、の声は忘れない。

弱っていくごとに、父の表情が穏やかになっていくのが切ない。

家族に、痛みや苦しみはもうないよと伝えているかのようだ。
[PR]
by yuming0117 | 2016-07-22 09:47 | 父の病気 | Comments(0)

あぁメロン


姑が「これ二つ買ったから」とくれたアンデスメロンを食べ終わったと思ったら、昨日実家の母から「Yさん(弟の奥さん)から夕張メロン送ってきたのお姉さんたちにもって、4つあるのよ、冷蔵庫がいっぱいなんだけどどうしたらいいと思う?」(絶対自分から取りに来てとは言わない)と言うので今日仕方なく取りに行ってきた。(よほど知らん顔しようかと思ったけど後が面倒だから)
この間行ったばかりなのに(ブツクサ)

下の妹は長女の結婚式を明後日に控え、メロン一個取りに武蔵野市から墨田区まで行くのは気の毒なので、彼女の分も私が持って帰って届けた。
夫が車で送ってくれたので楽だったはずだけど、帰ってきてどっと疲れた。
何分もいなかったのに、またもや母の破壊力にやられた
(>_<)

そしたら今日配達のらでぃっしゅぼーやの果物はアムスメロンだった。
ありゃ~。

実はワタクシ、メロンはマスクメロン以外は好きじゃないです(小声)

夜、夫に「お風呂入って」と言ったら夫が「今日は出かける前に入ったしなぁ」と言うので「どこ行ったんだっけ?」と尋ねてひんしゅくを買うも、記憶から抹殺したいほど行きたくなかったのね、と娘たちも分かってくれた。
d0153207_22595476.jpg

[PR]
by yuming0117 | 2015-06-18 22:59 | | Comments(0)

よよよ??


昨日は月に一度の実家訪問。

相変わらずの母の破壊力にすっかりヤラれてよろよろ帰宅。

疲れすぎて泣く子供いますよね。
そんな感じで泣きそうになって伸びていたら夫が焼き鳥とお刺身を買って来てくれました。
サラダだけ作って(切って盛り付けただけ??)夕飯。

申し訳ない。
[PR]
by yuming0117 | 2015-06-14 13:59 | | Comments(0)

機械屋その2


機械屋とは文字通り機械を作って売る会社のこと。

○田機械のパンフレットには『設計施工から販売まで』と書いてあったのを覚えている。
相手の希望にそった機械を設計し、工場では最初から最後まで自分のところで作るのが機械屋。

下請けには出さない、下請けはやらない、がモットーだと父は言っていた。
小さくても、うちの会社は立派な会社だと、子供のころ思っていた。

何故こんなことを思い出したかというと、昨日初めて、今話題の半沢直樹を見たから。
その中で、たぶん小さな町工場の経営者の夫婦が、たぶん銀行員に土下座してるんであろう場面が出てきたから。
バブル期、無理やり貸付けバブルがはじけてからは貸し渋り貸し剥がし、それによる悲劇も多くあったと聞く。

そんな場面の一つだったのだろう。
半沢の実家だったのかもしれない。

バブル時代にも父は浮かれず、バブルがはじけても下請けも土下座もしないで、小さな会社をやり続けた。
大企業にも銀行にも頭を下げず、むしろ頭高く。
(文句があるならイシハリか重工に頼め、とよく言っていた・笑)

それはそれで、誇り高い仕事だったはずだ。
ただ、それは父のような人にはものすごい重荷だったんだろうけど。
人の上に立ち、未来を切り開いていくべき立場の人間に必要な、明るさや物事の良い部分を見る資質が父には決定的にかけていた。
常に先行きを悲観し、最悪の事態を想定し、家族にも(たぶん)社員の皆さんにも安心するということを許さず、会社を守った。
気持ちはいつもギリギリだったんだろう。
そのストレスで、三大疾病全部にかかっちゃったんだと家族は思っている。

でも、できれば父にはそんな自分を誇りに思って欲しかった。

行きたい大学に進ませてくれなかった、望んで入った会社をやめさせてこの小さな会社を押し付けた祖父を恨まず、自分の運命を呪わずもっと自分に優しく生きてほしかった。
(まだ生きてますけど・笑)

みたいなことを重ね合わせる人が、大勢いるので半沢直樹は見る人の心を掴むんだろう。
来週も見ようっと、と思いながら、まんまと乗せられたなとも思うのでありました。
[PR]
by yuming0117 | 2013-08-26 12:34 | | Comments(5)

機械屋


シルシルミシルにトンボ鉛筆の工場が映ってますね。
スゴ技の機械を紹介してます。

その昔トンボ鉛筆を作っていたのは○田機械の機械でした。 もう使ってないでしょうけどね。

○田機械とは私の実家がやっていた機械屋です。
実家にはMONOの試作品がたくさんありました。

私は機械屋という言葉が大好きです(笑)
[PR]
by yuming0117 | 2013-08-25 21:50 | | Comments(0)

二つの命


ご無沙汰してしまいました。

いろんなことが起こった五月が終わり、六月に入りました。
六月はどんな月になるでしょうか。
そして、どんな夏になるでしょうか。

父の病気とそれに関する愚痴ばかりのブログになって久しく、愚痴を書くことによって自分の心の暗黒面を自分で凝視することになり、文章は更に重くなり、数少ない読んでくださってる方にも申し訳なく何も書かずに過ぎてしまいました。
でもまぁ、いつか読み返して、そうだこの時はこんなだったんだと思うよすがにもなろうかと思うので、記録として書いておくことにしました。

5月17日、父が再び呼吸困難で搬送されました。

前回の入院から二カ月ほどでまたです。
しかし、病状は前回と同じと言うわけにはいきませんでした。
両方の肺にかなりの量の水が溜まっていました。

何故こんなに大量の水が、それも両肺に溜まったのかは入院時点では分からず、治療して行く間に抗生物質が効いて水が減ったら肺炎、利尿剤が効いたなら心臓疾患と言う説明でした。

そして効果があったのは利尿剤。悪いのは心臓でした。
徐々に弱っていた心臓が何らかのきっかけで急に悪くなったと言うことで、心臓の働きは普通の人の心臓の30%以下と言われました。
正確な病名は『慢性心不全の急性増悪』
急変の危険が十分にあり、もし急変したら命にかかわると言うことで、その際どこまでの治療を希望するか、詳しい説明を受け母が同意書にサインもしました。
この時点で、家族は父の死を覚悟しました。
主治医が『とにかく、水を減らして楽にしてあげたい、病院で急変してしまう可能性も十分にあるので小康状態になった時点で一度おうちに帰してあげたい』と言い、それはすなわち、亡くなるなら家で、と言っているように聞えました。

そうとは知らない父は相変わらず入院させられたことに腹を立て、母に腹を立て、不機嫌でした。
筋肉が衰えているせいで、どんな姿勢で居てもすぐに背中や腰が痛くなり、枕の位置、腰に当てる布団の位置、母に憎らしい顔して文句を言い続けました。
またそれに対する母の対応も、あんたは病人の神経を逆なでするのが好きなのか、と言いたくなるようなもので、お互い労わりも感謝も無く、金婚式もとうに過ぎた夫婦が何故だろうと情けなくなりました。

その後、肺の水は劇的に減少し呼吸も楽になり父は退院することになりました。
原因は分かりません。利尿剤が効いたと言うことですが(笑)
いつものパターンです(苦笑)
家でわがままを言い、水は飲まず食事も摂らず、で呼吸困難になり入院。
病院では、残しはするものの病院食を摂り水も飲まされ水以外の飲料は禁止、と言う管理された生活を一週間続けて回復。
いい加減にして欲しいと思いますが、本人にしてみれば何の楽しみも無いのに、食べたくもないものを食べさせられ、好きなコーヒー牛乳も止めさせられる生活は味気ないものでしょう。
で、退院しまたわがままを言う。

しかし、心臓の機能が回復したわけではないのです。
わがままな生活をしていればまた同じことが起こります。
より病状は悪くなって。

あと何回こういうことを繰り返すでしょうか?繰り返せるでしょうか?
段々入院と入院の間隔が短くなり、こうやって徐々に弱って行くんでしょう。
簡単には死ねない、それが父の運命なんでしょう。
せめて苦しかったり痛かったと言うことが少なければと思います。

そんなさなか、下の妹の家の犬アスキーの脾臓が破裂し緊急手術、脾臓摘出という事態が起こりました。
獣医さんからは悪性の血管肉腫で肝臓に転移もある、手術がうまくいっても余命は半年から一年と言われたそうです。
12歳と言う高齢でもあり、術中に死んでしまう可能性も高いと言われたそうですが、徐々に出血が広がり苦しみながら死を待つ(または安楽死させる)より一か八か生命力にかけようと、手術して貰ったそうです。
手術は無事に終わりました。
そして今日、病理検査の結果腫瘍は見つからなかったと報告がありました。
病気は、『結節性過形成』。
脾臓の内部または表面にできた血栓の周りに結節ができ、表面に出来た場合破裂することがあり、それを放置すると出血が腹腔内に広がり死亡してしまう、というものでした。

もし、危険な手術でおなかを開き結果命を落とすならそのまま、と手術を拒んでいたら腫瘍でもないのに出血によってアスキーは命を落としていたことでしょう。
この場合、妹一家の決断がアスキーの命を救ったことになりました。
反対に、手術を決断したことを後悔するような結果だったことも考えられました。
開いてみなければ正確なことが分からない段階で、それこそ運にかけるしかない難しい決断でした。
結局、アスキーはまだ妹の家にいる運命だったんでしょう。

父とアスキー、両方の命、生きとし生けるものには神様が決めた“その時”があって、きっとそれが来るまでは生きながらえるものなんだろう、となんだかホッとしたような寂しいような、妙な気持ちになりました。

d0153207_1116913.jpg
元気で長生きしてね
[PR]
by yuming0117 | 2013-06-04 14:27 | 父の病気 | Comments(4)

そう考えれば


母に関する愚痴を、人様に分かっていただくのはなかなか難しい、と言うのは分かっている。
いるので賛同していただきたいとは思っていない。
ただ誰かに言いたい、ぶちまけたいと言う時、なんというか普通と言うかまともと言うかそういうお母様に育てられた人には話してはいけない。

分かってもらえない、ヘンな顔をされる、姑だなどは怒って説教する。

そんな中、貴重な聞き手は次女のママ友さん、マコちゃんである。
彼女のお母上もなかなかの傑物らしく(笑)彼女から愚痴を聞かされ、分かる分かる、とうなづいたこともしばしば。
そんな彼女のお母様も5年前に亡くなられ、彼女から『いなくなると寂しいものよ、会いたくったって会えないのよ』と言う言葉を聞かされるようになった。

そうは言うものの、扱いにくい母親の話を一番わかってくれるのはやっぱり彼女で、先日会ったときにもついつい母の愚痴を話してしまった。

『あたしって普通のお母さんて感じの人とは違うみたいなのよね~』が口癖でそれを自慢にも自分の母性のなさのいいわけにもしてたと娘からは見えた母が突然、普通の“お母さん”て感じの人とは違うのかなぁって不安なのと言い出し、それを否定しない娘たちに『あなたたちにそんなことないと言われたいの』と言い出した話をしたところ、彼女
『わぁ懐かしい、お母様そう仰ったと思ったわ、うちの母でもそう言ったわ、そう言う話も久しぶりに聞くわ』と言われた。

たとえどんな母でも自分の母は一人しかいない。
いなくなってしまえば、もう母はいなくなる。
話すことも困らせられることも無くなる。
今は面倒くさくて腹が立って、思いだすと顔がゆがむようなことばかりの母でも、それが母と言う人なのだ。

もう会えなくなるのよ、今では困らされたことだって懐かしい、と彼女は言った。
そうなんだろうか、きっとそうなんだろう。
今の私にはまったく理解できなくても。

そう考えれば少しは母に優しくすることもできるんだろうか。

きっとできないんだろうなぁ。
そして、いなくなってから懐かしく思うんだろう。
後悔もするのかもしれない。

ま、仕方ない。
それが私と母との関係と言うものだ。
[PR]
by yuming0117 | 2013-04-21 20:37 | 思うこと | Comments(2)

実母(はは)と言う人


アッハッハ。

参った参った。

あの人には叶わない、笑うっきゃない。(号泣)

追記
姑のことと実母のことが連日投稿になったのは偶然です。
しかし昨日、母はこれを読んでるんではあるまいかと思うほどのタイミングで、
自分の母性を大アピールしました。
こっわ~。
あの人の破壊力には誰もかなわない。
今頃父に泣きながら告げ口してるかな。
以前、母の継げ口で私たちは家から閉め出されたけど、また閉め出してくれてもいいよ。
(4月11日)
[PR]
by yuming0117 | 2013-04-10 21:30 | Comments(0)

想定外


驚いたことに、父は15日の金曜日に退院しました。

劇的に症状が改善したこと、本人がどうしても帰りたいと言っていること、などを考え合わせ退院するのがいいと言うことになったんだそうです。

家族としてははっきり言ってなんで???と言う感じですが、病院の判断ならそうなんだと思うしかないです。

土曜日に、北海道から上京することになっていた弟、緊急に上京する必要は無くなったものの、一番安いチケットを買ったのでキャンセルできない、帰りも早めることはできない、つまり父の介護と母の愚痴聞きのため一週間滞在(笑)

母と一日中一緒ってキツイよなぁ、私癌研に半日ついて行っただけでへとへとだったもんなぁ、と思っていたら夫が、激励に行ってあげる?と言い出し、始めは本気?と思ったけど妹のダンナ様もいいね、と言ってくれたので昨日は急遽3姉妹&ダンナ方で、父の退院祝い兼弟の激励会と言うことになりました。

父は夫が買って行った鰹を食べていました。
『どう?まぁまぁ?』と聞いたら『うまいよ』と言っていました。
今年の鰹は食べられないかと思ってたね。

夫がお父さん、長生きって言うのもへんですが、まだまだ頑張ってください、と言うと
『もういいよ』
親父さん幾つだと父が聞くので
86よ、今年で7よ、パパより4つも上なのよ、と言うと『俺はもういいよ』『もういいよ』と。

短い会話の中で『もういいよ』と3回も言ったので、それが心に引っ掛かっています。

そう、これからは週に一度は行った方がいいのかな。
[PR]
by yuming0117 | 2013-03-17 09:48 | 父の病気 | Comments(0)