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ついに還暦を迎えました、が、 まだまだジタバタ  B型山羊座のもなかです。


by yuming0117
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カテゴリ:父の病気( 32 )


バイバイ


一昨日(4日)朝、父が永眠しました。

長く寝たきりで、呼吸不全だ心筋梗塞だと救急車で運ばれたことも一度や二度ではなく、その度にICUに入れられたり家族は延命治療しない承諾書にサインしたり、何度も危険な状態を乗り越えて来ましたが、とうとう母と北海道から駆け付けた弟の奥さんと一人息子に見守られ最後を迎えることになりました。

父も楽になり、母も家で看取ることができて、2人とももう本望だと思います。

色々思うことはありますが、今は静かに見送りたいと思います。

とても暑い日だった空の青い日だった、といつまでも思い出すことでしょう。

パパバイバイ、アリガト、またね。
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by yuming0117 | 2016-08-06 00:27 | 父の病気 | Comments(0)

かと思えば


今日は非常に機嫌が悪く。

まったく眠らず私たちがいる間中、出ない声で文句の言いどおし。

悪口雑言、そこまで言うか。

なんでぇバーロー。

そんなに元気なら当分大丈夫ね。
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by yuming0117 | 2016-07-23 00:36 | 父の病気 | Comments(0)

日々


一週間前はあれができたこれもできた、もうできなくなったと数えても意味ない。

父の体は少しずつ閉じていく。

喉頭がんの手術の後の穴のヘリがフルフルと動くので息をしているとわかる。

じっと顔を見ていると、ふと目を開けて瞳を動かす、

子供のころ、目が合うと「なんだ」と言った父。

目を動かすのは、今の「なんだ」かな。

父の声を聞かなくなってからもう何年たつだろう。

でも不思議となんだ、の声は忘れない。

弱っていくごとに、父の表情が穏やかになっていくのが切ない。

家族に、痛みや苦しみはもうないよと伝えているかのようだ。
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by yuming0117 | 2016-07-22 09:47 | 父の病気 | Comments(0)

二つの命


ご無沙汰してしまいました。

いろんなことが起こった五月が終わり、六月に入りました。
六月はどんな月になるでしょうか。
そして、どんな夏になるでしょうか。

父の病気とそれに関する愚痴ばかりのブログになって久しく、愚痴を書くことによって自分の心の暗黒面を自分で凝視することになり、文章は更に重くなり、数少ない読んでくださってる方にも申し訳なく何も書かずに過ぎてしまいました。
でもまぁ、いつか読み返して、そうだこの時はこんなだったんだと思うよすがにもなろうかと思うので、記録として書いておくことにしました。

5月17日、父が再び呼吸困難で搬送されました。

前回の入院から二カ月ほどでまたです。
しかし、病状は前回と同じと言うわけにはいきませんでした。
両方の肺にかなりの量の水が溜まっていました。

何故こんなに大量の水が、それも両肺に溜まったのかは入院時点では分からず、治療して行く間に抗生物質が効いて水が減ったら肺炎、利尿剤が効いたなら心臓疾患と言う説明でした。

そして効果があったのは利尿剤。悪いのは心臓でした。
徐々に弱っていた心臓が何らかのきっかけで急に悪くなったと言うことで、心臓の働きは普通の人の心臓の30%以下と言われました。
正確な病名は『慢性心不全の急性増悪』
急変の危険が十分にあり、もし急変したら命にかかわると言うことで、その際どこまでの治療を希望するか、詳しい説明を受け母が同意書にサインもしました。
この時点で、家族は父の死を覚悟しました。
主治医が『とにかく、水を減らして楽にしてあげたい、病院で急変してしまう可能性も十分にあるので小康状態になった時点で一度おうちに帰してあげたい』と言い、それはすなわち、亡くなるなら家で、と言っているように聞えました。

そうとは知らない父は相変わらず入院させられたことに腹を立て、母に腹を立て、不機嫌でした。
筋肉が衰えているせいで、どんな姿勢で居てもすぐに背中や腰が痛くなり、枕の位置、腰に当てる布団の位置、母に憎らしい顔して文句を言い続けました。
またそれに対する母の対応も、あんたは病人の神経を逆なでするのが好きなのか、と言いたくなるようなもので、お互い労わりも感謝も無く、金婚式もとうに過ぎた夫婦が何故だろうと情けなくなりました。

その後、肺の水は劇的に減少し呼吸も楽になり父は退院することになりました。
原因は分かりません。利尿剤が効いたと言うことですが(笑)
いつものパターンです(苦笑)
家でわがままを言い、水は飲まず食事も摂らず、で呼吸困難になり入院。
病院では、残しはするものの病院食を摂り水も飲まされ水以外の飲料は禁止、と言う管理された生活を一週間続けて回復。
いい加減にして欲しいと思いますが、本人にしてみれば何の楽しみも無いのに、食べたくもないものを食べさせられ、好きなコーヒー牛乳も止めさせられる生活は味気ないものでしょう。
で、退院しまたわがままを言う。

しかし、心臓の機能が回復したわけではないのです。
わがままな生活をしていればまた同じことが起こります。
より病状は悪くなって。

あと何回こういうことを繰り返すでしょうか?繰り返せるでしょうか?
段々入院と入院の間隔が短くなり、こうやって徐々に弱って行くんでしょう。
簡単には死ねない、それが父の運命なんでしょう。
せめて苦しかったり痛かったと言うことが少なければと思います。

そんなさなか、下の妹の家の犬アスキーの脾臓が破裂し緊急手術、脾臓摘出という事態が起こりました。
獣医さんからは悪性の血管肉腫で肝臓に転移もある、手術がうまくいっても余命は半年から一年と言われたそうです。
12歳と言う高齢でもあり、術中に死んでしまう可能性も高いと言われたそうですが、徐々に出血が広がり苦しみながら死を待つ(または安楽死させる)より一か八か生命力にかけようと、手術して貰ったそうです。
手術は無事に終わりました。
そして今日、病理検査の結果腫瘍は見つからなかったと報告がありました。
病気は、『結節性過形成』。
脾臓の内部または表面にできた血栓の周りに結節ができ、表面に出来た場合破裂することがあり、それを放置すると出血が腹腔内に広がり死亡してしまう、というものでした。

もし、危険な手術でおなかを開き結果命を落とすならそのまま、と手術を拒んでいたら腫瘍でもないのに出血によってアスキーは命を落としていたことでしょう。
この場合、妹一家の決断がアスキーの命を救ったことになりました。
反対に、手術を決断したことを後悔するような結果だったことも考えられました。
開いてみなければ正確なことが分からない段階で、それこそ運にかけるしかない難しい決断でした。
結局、アスキーはまだ妹の家にいる運命だったんでしょう。

父とアスキー、両方の命、生きとし生けるものには神様が決めた“その時”があって、きっとそれが来るまでは生きながらえるものなんだろう、となんだかホッとしたような寂しいような、妙な気持ちになりました。

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元気で長生きしてね
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by yuming0117 | 2013-06-04 14:27 | 父の病気 | Comments(4)

想定外


驚いたことに、父は15日の金曜日に退院しました。

劇的に症状が改善したこと、本人がどうしても帰りたいと言っていること、などを考え合わせ退院するのがいいと言うことになったんだそうです。

家族としてははっきり言ってなんで???と言う感じですが、病院の判断ならそうなんだと思うしかないです。

土曜日に、北海道から上京することになっていた弟、緊急に上京する必要は無くなったものの、一番安いチケットを買ったのでキャンセルできない、帰りも早めることはできない、つまり父の介護と母の愚痴聞きのため一週間滞在(笑)

母と一日中一緒ってキツイよなぁ、私癌研に半日ついて行っただけでへとへとだったもんなぁ、と思っていたら夫が、激励に行ってあげる?と言い出し、始めは本気?と思ったけど妹のダンナ様もいいね、と言ってくれたので昨日は急遽3姉妹&ダンナ方で、父の退院祝い兼弟の激励会と言うことになりました。

父は夫が買って行った鰹を食べていました。
『どう?まぁまぁ?』と聞いたら『うまいよ』と言っていました。
今年の鰹は食べられないかと思ってたね。

夫がお父さん、長生きって言うのもへんですが、まだまだ頑張ってください、と言うと
『もういいよ』
親父さん幾つだと父が聞くので
86よ、今年で7よ、パパより4つも上なのよ、と言うと『俺はもういいよ』『もういいよ』と。

短い会話の中で『もういいよ』と3回も言ったので、それが心に引っ掛かっています。

そう、これからは週に一度は行った方がいいのかな。
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by yuming0117 | 2013-03-17 09:48 | 父の病気 | Comments(0)

一夜明けて


点滴と抗生物質で、脱水状態から脱し、どうにか生気を取り戻した父。

案の定、なんでこんなところにいなくちゃいけねぇんだ、バカみてぇだ、
来るんじゃなかった、と私たちがいる間何回言ったことか。
早晩、帰ると言い出すことは間違いない!(苦笑)

先生や看護師さんに暴言を吐かないよう、点滴を引っこ抜かないよう(ともに前科アリ)にして、無事に入院期間を終えられるよう、祈るばかりです。

病院にいる限りは、水分も栄養も補給して貰えるので、なんとかこの状態を保てると思いますが、肺炎はやっぱり重症らしく、見せてもらった治療計画書には
『緊急事態に対応できるよう努めます』という看護師さんのコメントが載っていました。

入院予定は二週間。
その間に、家に帰ってもちゃんと大丈夫な位に回復して下さいよ。
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by yuming0117 | 2013-03-13 22:40 | 父の病気 | Comments(0)

緊急搬送


そうこうしているうちに、父は呼吸困難を起こし、救急車で緊急搬送されました。

朝のうちはまだ入院しない、と言い張っていたようですがさすがに苦しくなったらしく、
素直に入院したそうです。
実家の近くに住んでいる妹が駆けつけた時は、蒼白というより脂蝋のような顔いろだったと言います。

脱水症状で血液はドロドロ、痰が固まって取れないのも脱水のせいだそうです。
痰を吸引して貰い、酸素吸入と点滴をして、だいぶ楽になったようですが、そうするとなんだか入院させられたのが癪に障るのか、不機嫌だったらしいです(苦笑)

呼吸がうまくできなくて、酸素もちゃんと入って来ず、肺を酷使した結果肺に負担がかかって肺炎を起こしているそうで、水分補給と抗生物質がうまく効けば回復することもあるが、反対に急変を引き起こす可能性も高い。
もし、そうなった場合どうするか話し合ってありますか、と主治医から聞かれ
胃婁や人工呼吸器などの延命措置は、以前前の主治医と話しあった時に、しないと父も言っていたのでしないことに、でも、痛かったり苦しかったりは可哀想なので、それは取り除いてあげて欲しいと言ったそうです。

来るところまで来たのか、まだまだ先があるのか。

今のところ私の心は平穏です。
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by yuming0117 | 2013-03-12 22:37 | 父の病気 | Comments(0)

食事


Blog『つれづれなるモナカ』のきなこさんが書いておいでだった、
彼女のお母さんが入っていらしたホスピスの看護師さんの
「あなたが何をしてもあげても、どんなに手を尽くしても、
これからやって来るお別れの時には必ず後悔するからね」と言う言葉。

以前友達から言われた
「これから先、どんな決断をしても絶対自分を責めちゃダメよ」と言う言葉。

その二つががずっと頭の中をぐるぐるしています。


父が食事を摂らなくなりました。
一切拒否と言うほどの強い意志があるわけでもないように見えます。
しかし、食べない。
母がどうして食べないの?と聞くと食べたくない、言うそうです。
別におなかが痛いわけでもなく、具合が悪いと言うわけでもなく、ただ「食べたくない」と。
作った食事を食べたくないならせめてこれ食べて、と母が懇願して(笑)食べさせているお菓子やパン一口がその日食べた物、と言う日が続いています。

水分もほとんど摂らなくなりました。
薬を飲む時にコップ一杯、たまにコーヒー牛乳やアクエリアス。
寝たきりとはいえ、摂取カロリーは少な過ぎます。

主治医から、入院検査して食べない原因をはっきりさせてはどうかと言う申し出があり、
昨日面談してきました。
事前に、ご本人にも意志があり、考える力もまだおありのようだから、ご本人の意見も聞いてくださいと言われましたが、もしかして、嫌なことを嫌だと言うのと意志や考える能力は、父の場合必ずしも一致しないんではないかと家族は考えていました。
父はひどいへそ曲がりなので(笑)条件反射的に拒否はするけど、それを考える能力と呼んじゃっていいのかな~なんて。
主治医は、本人なら死なないために検査をするという選択をすると踏んでいたのかもしれません。

母からはもう主治医と話すのはイヤ、あなたたちが話を聞いてきて頂戴、パパはもう入院はイヤだと言ってるから、と言われて、私たち3人は面談に向かいました。

面談では検査の結果打つ手があるにしろないにしろ、原因が分かった方がすっきりするだろうと言うのが主治医の意見でした。
しかし、検査で何かが見つかるとは限らないとも言います。
でも、分からないなら分からないなりに、どうするかは考えられると。
それもヘンな話だと帰る道々3人で話しあいました。
だったら、今検査しないでもできることはあるんじゃないだろうか。

帰って話したら、今の父に胃の内視鏡やCTやMRIをして、辛い思いをさせるのは可哀想だと母は言います。
その結果何か原因が分かったところで、治療には耐えられないだろうし、それなら辛い検査はしなくても良い、と。

そして何より、当の父がやはり「病院はイヤだ」とはっきり言います。
検査して食べられるようになるかもしれないでしょ、このまま食べないと死んじゃうかもしれないわよ、と母が言うと父は「もう82まで生きたんだからいいよ」と言いました。
そう、それが父の意志なのかもしれません。

今週、改めて主治医には入院検査はしません、と伝える予定です。
医師から見れば、私たちは検査治療を放棄した家族と言うことになるでしょうか。

これから先、一番つらいのはそばで見ている母でしょう。
非情な娘の私も心を入れ替えて、なんとか母を励まして、病院に入らず過ごさせたいと思っています。

たとえば、三笠宮様が96歳で心臓の手術をしたと聞いた時には、もういいんじゃない?と思いました。
でも、自分の親ならどう思うんだろう?とも思いました。
いざ、自分の親が82歳になり、寝たきりになり、食事を食べなくなり、それが父の意志なら仕方ないとも思いますが、やっぱり食べたくなくても入院検査は嫌でも、死にたいわけではないだろうに、とも思います。
父の頭の中で、嫌なことをしないことと死んでしまうことは、一致してるのかなと疑問を感じたりもします。

でも、きっと今の父を無理やり入院させることはしないでしょう。

みんな誰でも、こうやって何かを決断して親を見送って行くものなんだ、と実感しています。


ジム通いの結果体重は3kg減少しました。
まだまだ頑張ります(*^^)v
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by yuming0117 | 2013-03-10 15:08 | 父の病気 | Comments(0)

無題


実家の父は昨年春から入退院を繰り返す生活だ。

正直、去年の今頃2010年の夏を父が迎えられるとは思えなかった。
夏が越せるか、2009年が越せるか桜が見られるか、と山を越えながら少しずつ衰えながらだが、今に至る。

重症の肺炎で助からないかもと言われたり、肺癌かもしれないと言われたり、心筋梗塞起こして手術したり、夫じゃないけど普通の人なら3回は死んでるようなところを助かってきた。

前々回の入院から帰って来てたった10日で尿路感染から肺炎を起こしかけ、病院に戻ってしまった。
尿路感染程度でそんな事態になってしまうのは、きっと抵抗力が全然ないからだろうと想像され、今回の退院後も何が起こってもおかしくない、と覚悟してたが意外に元気。

以前より食欲もあり、近々どうこうというようには見えない。

4人の子供たちが家族を連れて集まって大騒ぎするのが大好きだった父なので、もし今度のお正月が難しいようなら敬老の日に、みんなで集まろうかと我が家では話していた。

でも、年末の誕生日、大丈夫なんじゃないの?
上の妹も80歳の誕生パーティできるよ、と言っていた。

パパ、12月27日には80歳の誕生会盛大にやりましょう、だから頑張って。

なんて言う話を姑にしていたら、それでも何年もはいられないのよ、と言われそうだなぁと思った。
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by yuming0117 | 2010-09-14 13:24 | 父の病気 | Comments(2)

見舞う


昨日は漢方の病院へ通院の日。
1時からの診察、早めに出て渋谷の神戸屋でパンを食べながら、
『この暑さの中外出はできるだけ少ない方がいい、また出てくるのも面倒だな』と考えた。
先日お見舞いに行った下の妹にメールで聞いてみると、彼女も3時頃行ったと言うので、
診察後、父を見舞うことにした。

病院につくと、父はナースステーション脇の観察室から普通の病室に移っていた。
母はもう家に帰ってしまって、いなかった。

『調子はどう?』『熱は?』などと聞いてみる。
父の答えは『熱はない、最初からなかった』『いつ帰るんだ』『どこも悪くない』
多分、どこも悪くないなんてことはなく、胸にはまだ何かの機械が貼りつけてあった。

暑いところから入って来て汗だくの私を見て『そんなに暑いのか、どこか悪いのか?』って(笑)
パパよりは元気だわよ。
更年期だから暑いのよ、というと、へぇ、って分かったのか分からないのか。

いつ部屋移ったの?って聞いたら『分からん』『何も分からん』と言っていた。
入院することはない、(頭を指で叩いて)アイツここがおかしい(先生のこと)とも言ってた。
まだ帰らないのか、って何度も言ってたし。
答えようがなくて困った。
何かしてほしいことない?って聞いたら『帰らせてくれ』
今度退院できたら、次に何かあってももう入院したくないって言うだろう。

ゴルフの夢を見た、とも言っていた。
どこのゴルフ場?と聞くと首をかしげ手を広げる。
どこか分からない、広いところ、という意味か。
『誰と行ったの?原田さん(中学時代からの友達)?』と聞くと
『仕事の奴らだよ』
そうか、ゴルフか。
ゴルフ、上手じゃなかったけど好きだったね。

ゴルフにもお寿司屋さんにももう行くことはできない。
夢に見るだけならせめていい夢をたくさん見せてあげたい。

昨日の父はなんだかんだ、私がいる間中ずっとしゃべっていた。
しゃべって疲れたでしょ?って聞いたら一度は黙ったけどまたしゃべり始めて。
誰かとしゃべりたいのよね。
それはいかに母がちゃんと相手して上げてないかの表れだと思った。

忙しい忙しいって、家でも病院でも父のそばに寄りつかない。
何がそんなに忙しいのか。
あと、どれくらい一緒にいられるか分からないのに、そばにいてあげればいいのに。
父はこんな他愛もない雑談を、母としたいに違いないのに。

最近は、父はこれから元気になる見込みはない、変化と言えば亡くなることなんだろうなぁと不謹慎にも
ぼんやり考える毎日だったけど、昨日は柄にもなく、もっと生きてて欲しい、と思ってしまった。

でも、あんなに帰りたがるのは本人が死を予感していて、死ぬなら家でと思っているからなのかと
思ったりもした。

帰りはなんだかひどく落ち込み、ぼんやりして降りる駅をひとつ通り過ぎてしまった。
かと言って、その先の日本橋まで行って何か美味しいものを、という気力もわかず、
一駅戻って、そのまま帰って来た。

どこがどう悪いと言うわけではない、と思いつつ、
後どれくらい?ということを強く感じてしまったのかもしれない。

できるだけ会いにいこう、と悪い娘もさすがにしんみりしてしまった。
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by yuming0117 | 2010-08-05 17:55 | 父の病気 | Comments(4)