犬の恩返し
2012年 11月 03日
人気ブログ『富士丸な日々』をずっと愛読していて、富士丸君の突然死は人様の愛犬ながら大ショックだった。
その後、とうちゃんこと穴澤賢さんが、富士丸の死前後の事を記した『またね、富士丸』を出版なさって私も購入、読んだつもりになっていたのだが。
先日、本棚の整理をしていたらその本が出てきた。
そうか見るだけでも辛いので奥の方に仕舞い込んで忘れてたんだな、とパラパラめくっていたら、そう言えば初めの方だけ読んで(外出先から帰宅した穴澤さんが息をしていない富士丸を見つけるところから始まる)辛くて、全部は読んでいなかったことを思い出した。
ナナメ読みで読み進んでいくと、富士丸の死後、穴澤さんには厄介なことが起こっていた。
彼は、都会の狭いマンションに住んでいるお散歩大好きな愛犬のために、山に庭付きの小さな家を建て思い切り走りまわらせてやろうと、計画を進めていたのだ。
その経緯はブログでも報告されていて、読者のみんなも家の完成を楽しみにしていた。
しかし、その本契約のまさに前日、富士丸が逝ってしまった。
穴澤さんにしてみれば、富士丸がいないのでは山に家を持つ意味は無い。
計画の中止を申し入れ、不動産屋さんも、そういうことなら、と了承しその件は立ち消えになったはずだったのだが。
暫くして、その土地の地主から契約不履行に付き違約金を支払え、と訴えられたと言うのだ。
本契約もしていない、雑草一本抜いていないのに何故?
相手の言い分は、手付金を支払ったので事実上契約をしたと同じ、地主の売買の自由を拘束したことになり、この破棄は契約違反だと。
結局、穴澤さんは弁護士をたて裁判で争い(簡易裁判のような簡単のもの)示談を受け入れ数万円を支払ってこの一件を終わらせた。
その件について書いているある人のブログを見つけ読んでみた。
犬は、飼い主の災難を引き受けると言われている、とそのブログには書かれていた。
思い当たらないわけでもない。
実家の母が弟を妊娠した時、酷いマタニティブルーになった。
毎日泣いていて、ごはんも作らず家事は通いの家政婦さんがしていた。
小学校5年生だった私は、学校から家に帰るのが嫌だった。
あ~あ、またママのあの顔を見なくちゃならないのか。
その頃実家には二匹犬がいた。
そのうちの1匹、秋田犬の静(しずか)は父が大学生のころ飼い始め、母と結婚した当時母に焼きもちを焼き吠えついたり、歯をむいて威嚇したり、随分意地悪したらしい。
静は一度交通事故にあい、母は自分の隣りに寝かせて看病した。
それ以来、あからさまな意地悪はしなくなったが、やはり私には心から打ち解けてはいない、と常々母は話していた。
その静が、弟が生まれるとすぐ死んだ。
13歳、当時の犬にしては長寿だった。
母はその後元通り元気になり、普通に生活できるようになった。
祖母が、きっと静が悪いものを持って行ってくれたのだと言ったのを良く覚えている。
また、姑は酷い更年期障害に苦しんで今以上に(笑)病院めぐりをし辛かったらしいのだが、愛犬のダックスフントが亡くなってから徐々に良くなったと言うのだ。
姑も、ファイちゃん(ファイネスという犬だった)が持って行ってくれたのよ、と私に話した。
そして富士丸。
富士丸は言いたかったんだろうか?
『とうちゃん、僕のためにそんなあこぎな地主と契約するのは止めてくれ、これから先どんな災難が降りかかるかもしれないんだよ、どうして分からないの?僕のせいでとうちゃんが酷い目に遭うのは耐えられないよ』
言葉で伝えることができない富士丸が身を以てとうちゃんの本契約を止めたんだろうか。
科学的なな根拠はまったくない。
犬好きのセンチメンタリズムと言われてしまえば、それまでだ。
でも、そう言うこともあるんじゃないかと犬好きは思う。
愛犬は人生の大事な伴侶だ。
世話をし、愛情を傾けているつもりでも精神的に依存しているのは我々飼い主の方ではないのかと思うことも多い。
でも、犬は必ず先に逝く。
いつか来る別れなら愛してくれた飼い主のために、災難を引き受けて死のうとしてくれる犬がいても不思議はないんじゃないか。
いや、やっぱり犬好きのセンチメンタリズムかな。
そう言うことを考えてしまうということ自体、そうとう犬に依存していると言うことになるのかな。
ハナだけ出してあったまる
一番好きな場所
おとーさんの手元ガン見
レオンのためにも、アブナイことに手を出すのは止めましょう(笑)
その後、とうちゃんこと穴澤賢さんが、富士丸の死前後の事を記した『またね、富士丸』を出版なさって私も購入、読んだつもりになっていたのだが。
先日、本棚の整理をしていたらその本が出てきた。
そうか見るだけでも辛いので奥の方に仕舞い込んで忘れてたんだな、とパラパラめくっていたら、そう言えば初めの方だけ読んで(外出先から帰宅した穴澤さんが息をしていない富士丸を見つけるところから始まる)辛くて、全部は読んでいなかったことを思い出した。
ナナメ読みで読み進んでいくと、富士丸の死後、穴澤さんには厄介なことが起こっていた。
彼は、都会の狭いマンションに住んでいるお散歩大好きな愛犬のために、山に庭付きの小さな家を建て思い切り走りまわらせてやろうと、計画を進めていたのだ。
その経緯はブログでも報告されていて、読者のみんなも家の完成を楽しみにしていた。
しかし、その本契約のまさに前日、富士丸が逝ってしまった。
穴澤さんにしてみれば、富士丸がいないのでは山に家を持つ意味は無い。
計画の中止を申し入れ、不動産屋さんも、そういうことなら、と了承しその件は立ち消えになったはずだったのだが。
暫くして、その土地の地主から契約不履行に付き違約金を支払え、と訴えられたと言うのだ。
本契約もしていない、雑草一本抜いていないのに何故?
相手の言い分は、手付金を支払ったので事実上契約をしたと同じ、地主の売買の自由を拘束したことになり、この破棄は契約違反だと。
結局、穴澤さんは弁護士をたて裁判で争い(簡易裁判のような簡単のもの)示談を受け入れ数万円を支払ってこの一件を終わらせた。
その件について書いているある人のブログを見つけ読んでみた。
犬は、飼い主の災難を引き受けると言われている、とそのブログには書かれていた。
思い当たらないわけでもない。
実家の母が弟を妊娠した時、酷いマタニティブルーになった。
毎日泣いていて、ごはんも作らず家事は通いの家政婦さんがしていた。
小学校5年生だった私は、学校から家に帰るのが嫌だった。
あ~あ、またママのあの顔を見なくちゃならないのか。
その頃実家には二匹犬がいた。
そのうちの1匹、秋田犬の静(しずか)は父が大学生のころ飼い始め、母と結婚した当時母に焼きもちを焼き吠えついたり、歯をむいて威嚇したり、随分意地悪したらしい。
静は一度交通事故にあい、母は自分の隣りに寝かせて看病した。
それ以来、あからさまな意地悪はしなくなったが、やはり私には心から打ち解けてはいない、と常々母は話していた。
その静が、弟が生まれるとすぐ死んだ。
13歳、当時の犬にしては長寿だった。
母はその後元通り元気になり、普通に生活できるようになった。
祖母が、きっと静が悪いものを持って行ってくれたのだと言ったのを良く覚えている。
また、姑は酷い更年期障害に苦しんで今以上に(笑)病院めぐりをし辛かったらしいのだが、愛犬のダックスフントが亡くなってから徐々に良くなったと言うのだ。
姑も、ファイちゃん(ファイネスという犬だった)が持って行ってくれたのよ、と私に話した。
そして富士丸。
富士丸は言いたかったんだろうか?
『とうちゃん、僕のためにそんなあこぎな地主と契約するのは止めてくれ、これから先どんな災難が降りかかるかもしれないんだよ、どうして分からないの?僕のせいでとうちゃんが酷い目に遭うのは耐えられないよ』
言葉で伝えることができない富士丸が身を以てとうちゃんの本契約を止めたんだろうか。
科学的なな根拠はまったくない。
犬好きのセンチメンタリズムと言われてしまえば、それまでだ。
でも、そう言うこともあるんじゃないかと犬好きは思う。
愛犬は人生の大事な伴侶だ。
世話をし、愛情を傾けているつもりでも精神的に依存しているのは我々飼い主の方ではないのかと思うことも多い。
でも、犬は必ず先に逝く。
いつか来る別れなら愛してくれた飼い主のために、災難を引き受けて死のうとしてくれる犬がいても不思議はないんじゃないか。
いや、やっぱり犬好きのセンチメンタリズムかな。
そう言うことを考えてしまうということ自体、そうとう犬に依存していると言うことになるのかな。
レオンのためにも、アブナイことに手を出すのは止めましょう(笑)
by yuming0117
| 2012-11-03 11:02
| 思うこと
|
Comments(2)